写真私のホビー

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2022年11月  中村 淳 (第24代・昭和56年卒)  [記事番号:c0149]
東武日光軌道線  (資料:無し )

RCTC OB/OG会総会は,今年も新型コロナウイルス感染の影響により,開催が見送られてしまいました.2017年に開催されたRCTC創立60周年総会では,私も担当者として参加した記念プロジェクトにより,アルバム写真がDVDに収録され,参加した皆さんに配られました.

そのアルバム写真の最初期のものは見つからなかったのですが,創立者の柳澤安夫先輩に当時の写真を提供していただき,収録することができました.

その中の「日光・金精峠・尾瀬沼」というアルバムの1枚が写真1です.メモには1957年7月とあります.写っている景色から,日光市内,おそらく東照宮前の神橋から国道120号を50mほど進んだ地点でしょう.左に沿っているのは大谷川でしょう.水面は霧が立っているようでよく確認できませんが.私はこの写真にとても興味を持ちました.というのは,私もこの道路は何度も通ったことがありますが,私には見覚えのない軌道が写っていたからです.

2015年に東向島の東武博物館に行ったときに見た,「東武日光軌道線」の展示車両を思い出しました(写真2).東武日光軌道線というのは,1968年まで日光駅からいろは坂入口手前の馬返まで走っていた路面電車だそうです.自分は乗ったことも,動いているのを見たこともありませんでした.

写真3はその車内です.2車体3台車連接式のめずらしい編成で,1両目と2両目の連結部に台車があります.連接台車というと,小田急ロマンスカーや,確か札幌市営地下鉄でも見た記憶があります.車両の片側が両端2扉,反対側が中央1扉で,1両目と2両目は同型が逆向きにつながるので左右も逆になります.

写真1で,2台の自転車(……に見えるが,本当は左の1台の先にもう1台あって合計3台)の左側に軌道が複線になっています.この場所は下河原駅です.日光軌道は単線ですが,上り下りの交換をする場所がいくつかあり,下河原駅はその1つだったようです.

1968年に日光軌道が廃止になったのは,1965年に第1/2いろは坂が完成し,自家用車やバスによる通行が一般化して収支が悪化したからなどといわれています.そうなる前のこの写真には,現在この場所でよく見る渋滞の列はおろか,1台のクルマも写っていません.これにも時代を感じます.

自分が知っている景色が,かつては今とちがった姿であったのを知るのはとても興味深いことです.アルバム写真DVDを見るとき,特に昔の写真にはそんな部分を見つける楽しみもあります.

写真2 東武日光軌道線 200形 外観 写真3 東武日光軌道線 200形 車内
写真4 中禅寺湖畔の道 写真5 金精峠への道

コメント

2023年7月 中村 淳 (第24代・昭和56年卒)   [コメント番号:m0324]
柳沢さん,コメントありがとうございます.

私は昭和の古い写真を見る,特にかつての街や人々の姿を見ることが好きです.古い写真は,被写体本人にはもちろん経験の再現でしょうが,私のような,当時を知らない者にはむしろ新鮮な発見です.この写真の他にも話題にしたい写真が,アルバム写真DVD Disk1の「195707 日光 金精峠 尾瀬沼」フォルダーにたくさんあります.

最初に出てくる橋はおそらく国道4号線の利根川橋だと思いますが,昭和の頃にはこのようなトラス橋をよく見かけました.現在主流の桁橋に比べると美しく,味わい深いと思います.この当時国道120号は馬返しから明智平まで,現在の第1いろは坂(下り専用)を対面通行で走っていたのですね.中禅寺湖畔や湯元に上がる道路がダートだったというのも初めて知りました(写真4に載せました).金精トンネルの開通が1965年ですから,このときは旧道(山道)を押したのですね.自動車が通れない国道でした(写真5に載せました).

そのような,現代とはちがったハードなサイクリングをされていたことに敬服します.ところで,柳沢さんがコメントで書いていただいた旅程と,アルバム写真DVDの上記フォルダーにある旅程(写真 ~OMI_2200.jpg)が逆向きのように思えますが…….

2023年7月 柳澤 安夫 (第1代・昭和33年卒)   [コメント番号:m0323]
2度も言われてからの、遅ればせながらの返信です

日光市の電車軌道が写っている写真についてひと言。昭和32年7月の尾瀬沼行きの初合宿ともいえる、写真のうちの1枚です。1泊目はユースホステルだった、高崎観音の広い住職の家に泊めてもらい、2日目が尾瀬沼の長蔵小屋だったと記憶しています。長蔵小屋では、長靴をはいた長蔵おじいさんが「自転車で来た人は、開闢(かいびゃく)以来初めてだ」と言って迎えてくれました。3日目は、自由行動の1日となり、私は1人、船で尾瀬沼を渡り対岸の燧(ひうち)岳に登りました。古い古い半世紀以上も前の話です。

よく見つけてくれました。電車の軌道と同居する道路は、帰り道に通ったところだと思います。疲れた様子が、前後の写真から読み取れるようです。でもまあ、元気盛りの私たちだったなあと思います。思い出させてくれてありがとうございました。

2023年(昭和98年)7月8日

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