その他私のホビー

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2024年10月  中村 淳 (第24代・昭和56年卒)  [記事番号:c0151]
関数電卓が好き  (資料:無し )

RCTC OB/OG会では理系は少数派でしょう.しかし理系はもとより,文系の人でも電卓はなじみ深いという人もいることでしょう.そこで,1970年代から自分がこだわってきた計算機や関数電卓の話をしてみたいと思います.

私は高校時代,部活の顧問の先生から計算尺を教えてもらい,とても興味を覚えました.同級で同じ部だった友人は計算尺を買いました.自分も手に入れようと思いました.多分,3,000円くらい出せば買えたと思います.しかし結局,買いませんでした.今思えば,あのとき買っておけば愛着をもって使ったにちがいなく,自分の貴重な宝物になったのに,と残念に思います(それでは何にお金を使っていたかというと,真空管のラジオやアンプを作ったり,ブラスロックやブルースロックのアルバムを買い集めたりしていました).

まったく思いおよびませんでしたが,たぶんその頃はまだ,タイガー計算機が入手できたかもしれません.ガラガラと回転するローターは,まるでエニグマ暗号機やチューリングの解読機のような雰囲気を漂わせていたことでしょう.あの頃に戻れたら,ちょっと奮発してでも買っていただろうに.

それからほどなくして,関数電卓の時代がやってきました.計算尺を買った同級の友人は,今度はカシオfx-10という関数電卓を買っていました.彼の家へ行って,触らせてもらいました.感激しました.ルートや累乗はもちろん,指数も対数も3角関数も,キーを押せば一瞬のうちに(……というのは大げさで,実際は1–2秒間種々の数字が現れた後に……計算機ものどかだった時代です)値が表示されます.それら超越関数の値は,当時の自分には,教科書や参考書の末尾にある数表の値(またはそれらから内挿した計算値)でしか得ることができませんでしたから.

そういえば,ちょっと自慢話になりますが,ルートを開く手計算の開平法,私は小学校4年生でできるようになっていました.父が熱心に教えてくれたからです.それでかなり得意になっていましたが,ふつうの小学生には累乗やルートや,まして開平計算などまったく縁がなく,友達に自慢しようとしてもさっぱり理解してもらえませんでした.ただ,そういう子供だったので,数値計算にはとても興味があったのだと思います.

たしか大学に入った1977年だったと思いますが,私もやっと関数電卓を手に入れました.カシオfx-102というやつです.fx-10と同じく,表示は7セグメントの蛍光管で,電源を入れたり切ったりするとチキチキチキ……という音がして,ああこいつも真空管なんだなあと感じました(余談ですが,蛍光管よりずっと以前の,ニキシー管を使った電卓も当時はありました.私はニキシー管の表示が好きでした.それは,ワープロのフォントにサンセリフではなくセリフを好むのと同じです.しかし,ニキシー管の関数電卓はなかったと思います).関数キーはfx-10の2行5列から3行6列+1になり,使える関数も増えました.特に逆3角関数や統計関数やメモリーが使えるようになり,計算の待ち時間はほとんどなくなり,とても満足でした.

国内の関数電卓はカシオがリードしていた記憶がありますが,すぐに強力なライバルが現れました.シャープのポケコンPC-1210です.これは関数電卓というより,BASICを搭載したプログラム電卓でした.関数電卓のように,関数キーを1ないし数回操作して関数値を出すのではなく,BASICプログラムを組んで走らせます.関数命令は十分にあったので,入力の手間はかかりますが,多分関数電卓より高度な計算もできたでしょう.われわれの学生時代,電卓で科学計算するユーザーはカシオ関数電卓派とシャープ ポケコン派の2大勢力に分かれていました.カシオ派だった私はポケコンを使わなかったので,その詳細は知りません.

今考えると,ポケコンは関数電卓より高度な計算ができるといっても,コーディングはやはりめんどうで,LCDは1行しかなったから,長いコードはおそらく紙にあらかじめ書いておき,その通りにキー入力したのではないでしょうか(そういえば,コーディング シートって,ありましたね.COBOL用やPL/I用もあったけど,自分はFORTRANで使っていました).それでもポケコンが売れたのは,当時PC(マイコンと呼ばれていた)が普及機でも20万円以上(キーボード一体型の本体だけ,ディスプレイなし,ストレージなし)と,高嶺の花だったからでしょう.実際のところ,関数電卓では役不足でポケコンが必要になったという状況は,私の生活にはありませんでした.ポケコンは,PCやMacが個人ユーザーに手頃な値段にまで下がった1990年代にはもう廃れていたと思います.

とにかく私はそのfx-102を20年間使い続けました.その間,100種類以上の関数を備えた関数電卓も登場しましたが,技術系社会人が電卓で使う関数など,せいぜい20種類もあれば十分だった(難しい計算はPC/Macやワークステーションでやった)ので,不便を感じませんでした.それにしても,20年使ってもfx-102はまったく問題なく動いていました.あの頃の日本製品はとても品質が高かったといえますね.

今の時代は,実験データは測定器がその中に保存したデータをメディアやケーブルで,または測定器が出力した信号をRS-232CやGP-IB(これらはとても古い規格ですが多くの測定器で現役です)などのインターフェースで,あるいはデジタル カメラやスキャナーによる画像ファイルをネットワーク経由で,いずれもPC/Macに取り込んで大量の数値解析をします.そういった仕事を私は今もしています.しかし昔々は,測定器のメーターや表示器に示された数字をいちいちノートに書いて,紙にグラフを書き,統計値を計算し,回帰分析をしていました.そんな場面では,ポケコンや黎明期のPCに入力してBASICで解析するのはとてもめんどうで,操作のシンプルな関数電卓は重宝しました.

私が関数電卓を操るとき,その計算式を理解することはもちろん,計算順序や数値の大小関係による誤差の評価なども無意識におこなっていました.計算の途中の値を見ながら,うまくいっているなとか,あれ,このデータおかしくないか,などと確認します.このプロセス,けっこう大事だと思います.長いルーチンをプログラム化すると,打ち込み作業はかんたんになるものの,この,途中の確認ができません.何を言いたいかというと,プログラミング機能のない関数電卓もいいもんだ,ということです.

fx-102は調子がよかったし,不満はありませんでしたが,20年して使用を終えました.それには理由があります.私のかなり年上の先輩が会社を定年退職するとき,置き土産としてHP-41Cという電卓をくれました.当時,科学計算のための電卓としてHP電卓は有名でしたし,自分もとても興味を持っていました.それが思いがけず自分のところにやってきたのです.洋モノかぶれの私には絶好のおもちゃでした.黒い無骨なデザインで,洒落た国産電卓とは佇まいがちがう.それに,キーの動きもちがう.国産電卓のふかふかした動きではなく,精度の高い,かっちりしたものでした.いってみれば,エレクトーンの鍵盤に対するピアノの鍵盤のようなものでした(そういえば,HP/Apollo時代のワークステーションのキーボードもHP電卓みたいなキータッチで,私はそれだけで気持ちが上がりました).

しかし,国産電卓のようにすぐに使うことはできません.まず,イコール キーがない.それで,一緒にもらった分厚いマニュアル(横河ヒューレット パッカードによる日本語版)を読んで,少しずつ使い方を覚えました.読みながら,ああこれは値→演算子の順に入力するんだな,と理解しました.これを逆ポーランド記法(RPN)といいます.HP電卓の特徴はキー入力にRPNを使うことと,演算に連動した4つのレジスターを使うことです.このことで,優先度のちがう演算子や入れ子の括弧が混在する複雑な式を,国産電卓におけるメモリー キーや括弧キーを使うことなく,打ち込めます.RPNを知らないと想像しにくいでしょうが,これには感心するというより,感激します.レジスターがあるおかげで,前の計算結果に戻るといったこともできます.

HP電卓を使って計算していると,計算に対する独特な思想というものに,だんだん感化されていきます.そして,電卓を使うこと自体が楽しみになります.私はそうでした.まるでWindowsに対してのMacのように.そして気がつくと,RPNでない普通記法の電卓を使いにくいと感じるようになります.特に頭の中で考えながら計算するとき,RPNはそのまま打ち込めるのに,普通記法の電卓ではまず紙に式を書いてから打つ必要があるからです.それくらい「脳と直結している」感覚です.またこれは良し悪しですが,電卓貸してと言われて貸しても,借りた人はほぼ使えません.スノッブ気質をくすぐります.

そのHP-41C(1979年発売)は私のところに来るまで,先輩のところで多分15年くらいは使われていたはずです.自分はその後16年ほど使いましたから,合計で30年以上使ったことになります.アメリカの製品も頑丈でしたね.それが不調になったのは内部の回路や液晶ではなく,電池の接点でした.HP-41Cは電卓としてはめずらしく単5電池を使っていますが,樹脂に打ち込まれた金属接点が腐食したか,すり減ったかで,計算中に突然落ちてしまうということが頻発しました.携帯するためにスマートな形で直そうとしたのですが,うまくいかず,買い換えることにしました.

ところで,HP-41C発売から7年遡る1972年,HPから「世界初のポケット関数電卓」としてHP-35が発売され,評判になりました.2007年にその復刻版(といってもデザインはちょっとモダンになり,機能はかなり進化して)のHP-35sが発売されました.HP-41Cの次の電卓をRPN一択で探していた私は,2013年にそのHP-35sを買いました.といっても,HP電卓の製造はもはやアメリカ本国ではなく,現在は台湾,シンガポール,ブラジルなどです.HP-35sは台湾製で,筐体の建て付けやキーの動きはかつてほどの高品質ではありません.ちょっと残念です.

今はそのHP-35sも使うし,iPhoneにインストールしたHP-15CとHP-42Sのエミュレーション アプリもときどき使います.HP-15C,HP-42Sのいずれも,やはりHP製の伝説的な関数電卓です.エミュレーションといっても,それが動くiPhone(私のは11)は高性能なコンピューターといえるので,動作には不満はありません.iPhoneはいつでも持ち歩くから,つねに関数電卓を持ち歩くことになります.ただ「リアルな機械ではない」という点が引っかかります.こうなると,計算することよりも,そういった思い入れのある電卓を所有し,触ったり質感を楽しむということが目的になっていて,これはもう関数電卓フェチといえるかもしれません.

カシオ fx-102(出典:東海大学理学部物理学科 遠藤研究室 関数電卓博物館) シャープ PC-1210(出典:Wikipedia)
HP-41CV(HP-41C の姉妹機,出典:The Museum of HP Calculators) HP-35s

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