活動報告

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2011年11月  森田 由三郎 (第18代・昭和50年卒)  [記事番号:r0023]
信州峠ラン  (資料:無し )

* 添付されていたWord文書を本文に転記しました(HP担当).

信州路紅葉ラン(信州峠越え)

50年卒+51年卒姫1の5人で晩秋の信州峠紅葉ランを行ったので報告します。この時期このルートはあまり訪れる人もおらずゆっくり風景をみながら安心して走れるランでした。紅葉と里山ののどかな風景は思わず独り占めしたくなるようでとても心癒されました。来年は更に参加者を増やし今回は雨で見られなかったみずがき山を見てみたいと思います。

開催日:
2011年11月5日(土)~6日(日)

参加者:
青木(鈴木)清子,井上清一,長田信男,遠山敏明,森田由三郎の5名

主要コース:
(1日目)清里駅(集合)→清泉寮→美し森→JR最高地点→宿
(2日目)宿→野辺山駅→信濃川上→信州峠→塩川ダム→韮崎駅(解散)

走行距離:
約53km(地図上の距離)

久々の遠征、名のある峠を越えるのも何10年ぶりだろう。新宿駅8時発のかいじ5号に乗るべく、皆さん早々と集合。森田氏とは八王子で合流。体調不良のため鈴木(幸)、中村(光)両氏が、直前のキャンセル。7名が5名に減ってしまいちょいとさびしい。発案者と企画者が同時にリタイア。これは先が思いやられる。

車窓の景色を楽しみながら、2時間ほどで小淵沢駅に到着。小海線に乗り換え。この乗換えに一苦労。乗り換え時間が3分しかない。降り立ったホームは松本寄りの一番端。乗り換える小海線のホームは、新宿寄りにある跨線橋を越えた向こう側のホーム。列車はすでに到着している。リュックをしょって、輪行かついで一走り。もう間に合わないかと思いつつ、走る。何とか間に合った。待っていてくれたようだ。列車の本数が少ないせいか、車内は結構混雑している。それにしても、乗り換え時間もう少し何とかならないか、JRさん。これからの信州ランの波乱を予兆させる。

そうこうしているうちに清里駅に到着。高原のポニーと呼ばれたC56がお出迎え。70年代初めのディスカバージャパン全盛の頃、多くのカニ族と呼ばれる若者を満載して活躍した蒸気機関車だ。小諸、野辺山の駅でも見かけたので、何両くらい走っていたのだろうか。私は同機のHOゲージを所有しているほど、この機が好きだ。まったくかわいらしい蒸気機関車だ。

早々に自転車を組み立てて出発。清泉寮に向かう。走り始めていきなりののぼり。これが清泉寮まで続く。かつて来たことはあったが、こんなに急だったかしら。それもそのはず。清里駅が標高1,270m,清泉寮が1,400m。約2kmで130m登る計算だ。きついわけだ。井上氏、フロントディレーラーが落ちないと、52枚のほうで登っているではないか。恐るべきパワー。途中のキープ協会の牧場で子牛が我々を出迎えてくれた。よく見ると、目がくりっとしていてとてもかわいい。

キープ協会は、アメリカ人で立教大学教授であったポール ラッシュにより設立された自然体験型学習や環境保護活動をすすめる団体である。また、清泉寮はキープ協会の宿泊施設の一つでもある。立教大学とは浅からぬ因縁のあるところだ。

ここにきたら、まずはあの有名なソフトクリームを食べなければ。最近はやりの足湯もできていた。広々とした牧場からは富士山も遠望できる。昼食時であったので、ここでランチ。野菜が新鮮でとてもみずみずしくおいしかったのが印象的だ。

さあ、美し森をめざし出発。まだ、のぼりが続く。八ヶ岳高原ラインにようやく到着。ここで標高1,460m。やっときついのぼりからは解放された。ここからは、清里の森の外周をぐるりと回って国道141号(清里から野辺山、佐久方面に抜ける国道)に出る。途中、美し森へ続く交差点に出たが、その方向を見ると延々のぼりが続いているので、躊躇なくパス。このあたりは林間学校用の施設がやたら目につく。

国道141号のT字路で、マウンテンバイクにのる老若男女の一団と遭遇。この先にあるJR最高地点まで抜きつ抜かれつでようやくJR最高地点到着。JR最高地点付近でその地点はどこだろうとキョロキョロしていると、マウンテンバイクの一団が追いついてきて、右に曲がったところだと教えてくれた。地元のサイクリストで、野辺山でペンションをやっているとのこと。機会があれば行くとあいさつ。しかし、ペンションの名前を忘れてしまった。いいかげんだな。

JR最高地点の標高は1、375m、立派な碑が立っている。傍らには小さな神社が建てられている。説明版を読むと縁結びの神様だという。鳥居の奥に、何故かレールの断面を模したものが、岩にはめ込まれている。そこですかさず青山氏が、レールではなく縁結びなら連結器にすればよいのにと発言。一同大爆笑。

また、今夜の宿泊予定の八ヶ岳グレイスホテルが眼前にある。野辺山と聞いていたので、野辺山から引き返す羽目にあうところであった。なんとラッキーな。時刻はまだ午後2時半すぎ。ひとまずホテルにチェックイン。

それにしても、あまりに早すぎるので、野辺山までポタリング。小海線に沿った旧道を行けば楽なことを、先ほどのマウンテンバイクの人たちに教えていただいていたが、同じ道を走るのも能がないと、国道を行く。これが結構アップダウンがきつい。野辺山のシンボル、藁でつくったモーモーさんをやたらと見かける。どうも野辺山のまちづくりのシンボルになっているようだ。野辺山の町は道の広い、ゆったりした感じの街であった。野辺山駅は標高1,345.67mにあり、JRでは最高所の駅だとのこと。駅前は結構広く、大型観光バスも乗りつけられそうだ。我々が行ったときも、ツアーとおぼしきおおぜいの人々が、小さな駅のホームにあふれかえっていた。野辺山までは往復で5kmほど。右手に八ヶ岳、左手に電波望遠鏡を見ながらホテルへ帰着。

ホテルでは、明日、信州峠に挑戦するかどうか決めるため、天気予報が気になる。ヤフーの予報では一日雨、ウェザーニュースは一日曇り。天気の専門家であるウェザーニュースにかけた。雨の中の峠越えはごめんだ。このままもってくれ。

翌朝、一雨降ったらしいが何とか雨は上がっている。さあ午前9時、信州峠に向け出発だ。まずは野辺山駅に向かい、信濃川上に向け駅先の踏み切りを右折。初め右折の看板を見過ごし、直進してしまった。看板がどこかのペンション広告のようにしか見えなかったのが原因。交通標識は交通標識のように掲げて欲しいものだ。道はアップダウンを繰り返すも、ようやく信濃川上と信州峠の分かれ道に到着。

いよいよ信州峠の入口に立った。標高1,190m。ここからは峠まで延々のぼりが続く。どこまで登れるだろうか。空模様は曇りで、ときどき日がさす程度。雨は降っていない。ラッキーだ。1,300mくらいまでは里山の風景が続く。人には会わない。ときどき車が行き交う程度だ。それでも登り続けている。ここらあたりまでは乗ったり押したりの繰り返し。1,400mを越えたあたりから、ようやく山道、峠越えの道のにおいがしてきた。いよいよもってきつい。道はつづら折になり、峠が近いことを教える。ここまで来ると、もう乗っていられない。無理をしないで押すに限る。なんせアラ還世代なのだから。許してもらえるだろう。そして、ようやく峠の頂上へ。ようやく着いた。後で考えてみたら、信濃川上の追分から半分くらい押していたのではないだろうか。もっと鍛えなければ。それに引き換え井上氏は、前ディレーラーが落ちず52歯のチェーンホイールのみで登ってきたのだから、たいしたものだ。もっともっと見習わなければ。

信州峠,標高1,465m。峠到着午前11時。しかし、峠にはここが信州峠であることを示す何ものもない。普通は峠名くらい表示してあるはずなのに。そこで、あたりを探すと、素掘りの切通しの上に何やらありそうだ。森田氏が行って確かめると、50cmほどの高さの苔むした石柱に信州峠という文字を発見。ボッカの時代の遺物なのだろうか。一堂感激しきり。たいていは峠名を記した標識が有るものだが、自動車にとって苦もなく越えられる峠に、わざわざ標識を立てる必要性がないのだろうか。

さあ、峠を下ろう。ここからは待ちに待った念願のダウヒル。韮崎駅まで一気の1,100mダウンヒル。しかし、昨夜の雨と午前中パラパラきた雨で路面が濡れている。そして、濡れた落ち葉が道いっぱいに広がっている。我々の愛車であるロードバイクはただでもスリッピーなのだから、転倒しないよう十分注意してくだらなければならない。ブレーキを利かせても時速30kmは軽く出る。落ち葉をよけつつ、ブレーキをかけつつ、用心深く下る。

そうこうしているうちに、増富ラジウム温泉に向かう分かれ道にようやく到着。標高1,190m地点。ここからは里山の風景に変わる。ようやく峠道は抜けたようだ。ここからは,次の休憩ポイントであるみずがき湖(塩川ダム)をめざしてゆったりとしたダウンヒルが続く。またしても、湖直前で試練。トンネルである。トンネルは嫌いだ。車が来ないことを祈りつつ通過する。足元が見えない。後ろから車の轟音がする。本当に嫌になってしまう。

トンネルを抜けるとそこは雪国ではないが、眼前に湖が広がる。湖畔は一面の紅葉だ。標高900m、紅葉前線はこの標高にあるようだ。本当にきれいだ。自然の中で見る紅葉は、東京の枯れたような紅葉とは比べものにならないくらい美しい。ダムサイトのビジターセンターで昼食。あいにく本格的に雨が降り出してきた。午前中の予報はウェザーニュース、午後はニフティの予報が当たった。痛み分けというところ。早速、雨具に身を包み出発。それほど雨はひどくならずにすんだ。雨の中を走るのも何年ぶりだろう。あたりの景色を楽しむ余裕はちょっとない。ひたすら走って、北杜市、須玉市を抜け国道141号を韮崎に向けひた走り。さすがに車の量が格段に多くなり、嫌気がさす。

韮崎駅到着、午後2時半。青山氏は「かいじ」号で新宿へ、その他のメンバーは「はまかいじ」号で横浜へそれぞれの家路に着いた。(文:長田)

野辺山駅 川上村から信州峠へ
信州峠 みずがき湖

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