活動報告
2014年4月 長田 信男 (第18代・昭和50年卒)
[記事番号:r0082]
続・多摩川二ヶ領用水お花見ラン(詳細解説版) (資料:無し
)
森田氏の速報版に引き続き、コース名所旧跡歴史解説版を投稿します。
主なコースは、多摩川大橋・多摩川交流センター(集合)→ガス橋→丸子橋→二子橋→久地駅→宿河原二ヶ領用水桜並木(川崎市緑化センター)→円筒分水公園→(二ヶ領用水一路南下)→武蔵小杉駅→丸子橋→桜坂→沼部駅→丸子橋緑地→ガス橋→多摩川大橋(解散)。走行距離約32km。
当日は快晴。多摩川大橋川崎側多摩川交流センターに向かう。ただし、地元に住みながらこのような建物ができたのを知らなかった。2階建てのこじんまりした建物だが、屋上には展望台もある。サイクリングを楽しむ人々にはありがたい施設だ。
9時半、出発。天気も上々。走り慣れた道(多摩川右岸)を北上。ガス橋、丸子橋で休憩をとりながら、浅賀氏との遭遇が想定される場所へ。等々力緑地を左手に見、満開の桜並木が続くところで休憩。近くの桜の下ではおじさんたちが花見の宴を開いている。浅賀氏を待つことしばし、無事合流。北上を再開。第三京浜、二子橋、新二子橋を通過、平瀬川を渡って1kmほど行った宇奈根で左折、目的地である川崎市緑化センターに向かう。
ここで宇奈根と聞いて、世田谷にも同じ地名があるのを思い出した。宇奈根、瀬田、野毛、丸子、沼部、古川など同じ地名が多摩川両岸にある。これはかつて多摩川が大きく蛇行していた名残であり、これらの地は大正末に旧堤がつくられた際に村々が分断されて残されたものだ。また、今我々が見ている桜は、堤防強化のために旧堤上に植えられたものの生き残りだ。
話が横道にそれた。宇奈根で左折し、道なりに直進、久地小学校の脇を通り二ヶ領用水へ。さらに用水を上流方向へすすむ。久地駅前の鷹匠橋でちょっと迂回(用水沿いの道が切れる)。南武線を渡り、東名高速道路の下を行くとふたたび用水に出た。ここから500mほど行くと緑化センターだ。
この用水をこのままたどって行くと、二ヶ領宿河原堰に出る。多摩川の合流点付近には二ヶ領用水せせらぎ館がある。この場所は、ランの集合場所として何度か利用させていただいた経験がある。対岸は、「岸辺のアルバム」の舞台になった狛江の多摩川が破堤した場所だ。現在はピラミッド型の記念碑が建っている。
緑化センターで鈴木(幸)氏と合流。用水路沿いに桜の並木が続く。平日にもかかわらず、多くの人々で賑わっている。幸いなことに、川床よろしく川のせせらぎを前に、昼食をとることができた。向こう岸では会社の仲間と思しき人たちが、花見の宴を繰り広げている。
帰路は、二ヶ領用水を南下。まずは円筒分水を目指すことに。そして、久地駅付近にある上河原堰からの流れとの合流点へ。その用水路沿いを南下(このあたりの流れは、川の流量もあり用水路というよりはちょっとした川の趣がある)。平瀬川にぶつかったところを右折すると円筒分水がある。
一口に円筒分水といわれても、なんのことだよくかわからない。どんな施設なのか。かつて、等々力緑地内にある川崎市市民ミュージアムでレプリカを見たことがあったが、下から見上げるばかりで、構造がどうなっているのかさっぱりわからなかった経験がある。この構造物を地上から見て初めて理解できた。この構造物は昭和前期につくられ(私は明治時代につくられたとずっと思い込んでした)、用水を決められた水利権に従って分水するものである。直交する平瀬川を越えるために、平瀬川の底をサイフォンの原理よろしく水を通し、下流側に吹き出させる装置である。現在は用水の需要も減り、用水の大半を平瀬川に落としているようだ。現に、この円筒分水を境にして上・下流の姿が大きく異なっている。
この円筒分水で、多摩センター方面まで帰らなくてはならない鈴木(幸)氏と別れる。我々はさらに用水沿いを南下。国道246号(大山街道)の歩道橋を自転車を押して越える。その先には、見事なしだれ桜の並木がかなりの長さで続いている。しだれ桜の名木といわれる立木をあちらこちらで見たことはあるが、しだれ桜がこれほど延々と植えられているのは初見だ。用水路に降りて眺めると、なおのこと水と桜のコントラストのなんと素晴らしいことだ。さらに進む。旧大山街道とぶつかるところで、荻窪方面に帰る浅賀氏とお別れ。二子橋を通って帰るという。
残留組は両岸に植えられた桜をみながらさらに進む。小杉十字路の手前あたりであろうか、緋寒桜にしてはいやに濃い赤の花が続く。地元の人に聞いたところ、花桃の花だという。ももの会というのぼりも見え隠れしている。自宅にも花桃の木はあるのだが、白に近い淡いピンクの花で、同じ花とは思えない。
次の目的地である桜坂に行くのには、小杉十字路を左折して中原街道から丸子橋に出るのが最も近いのだが、なぜだか直進(道を誤った)。武蔵小杉駅前を通って綱島街道から丸子橋に出る。ちょっと遠回りになってしまった。丸子橋を渡り(渡ったところにある多摩川台公園も大田区おける桜の名所の一つ)、田園調布駅から続く三間道路との交差点を右折すると、もうそこは桜坂上だ。福山雅治の歌で一躍有名になり、このシーズンは休日ともなれば人が押し寄せる。
この道は環八と中原街道との交差点から延びる中原街道の旧道だ。坂を下った先が丸子の渡しのあったところである。坂の中程にある桜橋の朱色と一面に咲き誇る淡いピンクの桜がベストマッチングだ。帰りがけ桜橋から桜坂に出ようとしたところ、この坂こそ旧道の旧道という説明板を見つけた。鶴見川の源流に行ったとき、源流の源流というところに行ったが、行ってみないと気がつかないものだ。桜坂を下って多摩川に出たところで、日吉方面に帰る井上氏と別れる。
1人欠け2人欠けした残留組は、今度は多摩川左岸を下る。新幹線に前途を阻まれ、一度堤防下へ迂回。再び堤防上へ駆け上がり、ガス橋へ。ガス橋脇は大田区の花見の名所の1つに数えられる地だ。もう1つ、ここは現在問題となっているスーパー堤防となっているところだ。三菱重工旧丸子工場があったところがスーパー堤防になっている。おかげでゆったりと桜見ができる平地が確保され、花見の季節には屋台が出るほどの賑わいになっている。ここの桜も、先ほど述べた旧堤の桜が何らかの理由でまとまって残ったところだ。
いよいよ最終目的地の多摩川大橋へ。多摩川大橋への道には、生き残った桜がそれなりに咲いている。なぜ桜を伐ってしまったのだろう。桜が根を張り堤防を壊すといわれてはいるのだが、なんとか残して、桜の更新をして行ってもらいたいものだ。途中の矢口地先の堤外地には21世紀桜として、大田区が新たな桜の名所をつくるプロジェクトが進められている。60過ぎの私が生きているうち、満開となったこの桜を見ることができるのだろうか。いよいよ多摩川大橋に到着、3時半。次回のランでの再会を約して、皆と別れを告げる。
閑話休題。
多摩川のサイクリングロードを走っていて、河口より何kmの表示をよく見かける。それでは河口とはどこだろう。というのは、羽田空港の敷地は日々埋め立てられ沖へ沖へと伸びている。最近、北海道に帰る姪っ子を送りがてら、問題のゼロ地点を探しに行った。それは今回新装なった外国線ターミナルから国内ターミナル方向に出て、2つ目の信号先(空港内は高速道だと思っていた。あにはからんや、不思議なことに一般国道もあり、外国線ターミナルまでは歩いて行けるのだ)の多摩川河畔の堤防上にあった(川崎側は未調査)。直径15cmほどの丸いプレートで、ゼロと記してある。簡素なものだ。沖方向へは当然マイナス表示となっている。なぜここにゼロ起点が設置されたのかの理由は、私にはわからない。参考のためにゼロ起点を世界標準で記しておく。東経139°46′03.6″、北緯35°32′33.5″。ちなみに住所は、大田区羽田空港5-6-5である。
久地円筒分水公園 | 円筒分水の構造 |
二ヶ領用水沿い桜並木 | サクラ色染めのサイクリスト |
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