活動報告
2016年11月 小宅 哲哉 (第17代・昭和49年卒)
[記事番号:r0213]
絶景! 駿河路三島~藤枝編(東海道中輪歩の記 その6) (資料:無し
)
日時:11月27日~29日
走行者および自転車:
• 17期
小宅(ダホン)
横山(BD-1)
• 18期
鈴木宏和(Corratec)
遠山(アルプス)
コース:
• 1日目
三島駅~吉原(距離25km)
• 2日目
吉原~薩堆(さった)峠~静岡(50km)
• 3日目
静岡~宇津ノ谷峠~藤枝(25km)
今回の自転車旅は旧東海道のハイライト、山あり、海あり、峠あり、街道風情あり、旨い飯ありと今までで最高のものであった。この年齢までサイクリングを続けてきた私たちに、天がくださった贈り物だと感じざるを得ない。RCTCで学んだ自転車旅のノウハウと人的交流により、サイクリングの一つの最高形態がここに結実したといえる旅であった。この感動を文章で表すことは容易ではないし、その詳細を筆記するのは難しい。そのため特に際立ったポイントを紹介することにした。なお行程は末尾に掲載した。
その1 駿河路薩埵峠(由比宿~興津宿間)
広重の由比薩埵嶺(東海道53次)として富士山と駿河湾が一望できる有名な峠。由比駅から旧東海道を2kmほど南下すると峠まで1.3kmの表示板がある。そこが標高27mで峠が107mだから1.3kmで標高差80mを上る激坂である。横山先導は憑かれた飛脚のごとく上っていく。後の3人は江戸の往時を偲びながらゆっくりと押して行く。ところが遠山先生は、何を血迷ったか先を急いで行ってしまった。
残り物には福がある、私と宏和君に光明が兆した。富士山は、朝から雲に隠れて見えなかった。しかし押し歩く2人が後方を振り向くと、なんと雪を冠した富士の頂が雲の上に現れたのである。その日富士が見えたのは、この一瞬だけであった。あ~、天はわれわれ2人を見捨てなかった、僥倖である。峠につき振り返ってもすでに富士は見えない。他の2人は、この実景を信じようとしなかったが、真実である。
浮世絵の構図となった場所は、流石に絶景。眼下の駿河湾沿いに東名高速道路、国道1号線、東海道本線が流れるように伸びる。そして対面には伊豆半島の山並み、右端の突端は波勝崎である。この光景は生涯脳裏に焼付き忘れることはないであろう。若いときならあまり感じなかったこの光景を、今の年齢だからこそ風景の有難さとして感じることができるようになったのかもしれない。
この場所で、何故にこのような彼岸的なことを考えたのであるか、後で解った。薩埵とは「衆生」、「菩薩」の意味があるらしい、なるほどこの地は、来世と現世の交差する場所なのであろうか。そこからの下りは、遠山先生の哲学「旧東海道を行く」に従い、急な登山路を1km程も自転車を担ぎ下った。荷物が多い宏和君の疲労は最高潮に達し、舗装路に辿り着いたとき温厚な彼の表情が相当険しくなっていた。(2日目)
その2 興津清見寺
興津駅から本陣跡を過ぎると、右手に石段があり東海道本線を超えて立派な山門が見える。山門の奥に鐘楼や方丈など堂々とした建物群が並んでいる。清見寺である。正しくは「巨龜山(こごうざん)臨済宗清見興国禅寺」というらしい。ここに着いたのは午後3時頃であり、宿泊地の静岡まで15kmほどあったので、山門に入るだけで出発するつもりであった。だが山門に入ってすぐに堂内から「よかったら見学してください」との声あり。意に添わず見学することになったのだが、見学して大正解であった。寺院内は歴史遺産の宝庫であった。
まず山門は1651年建築で彫刻は左甚五郎の弟子作という。大方丈の西側の間には家康公「手習いの間」の遺搆が保存してある。鐘楼は600年前の鋳造で秀吉が供用したという。前面の庭の臥龍梅は家康が接樹したとのこと。絵画は、狩野探幽、丸山応挙、白隠などのものがある。大正時代までは皇族が来遊し、眼前の磯で遊んだという。有名寺院のような煌びやかさはないが、落ち着いた中に高貴さを感じる。かといって格式ばったところがない。期せずして名刹の中身を見学できた、これも僥倖である。
戦前までは寺から三保の松原が見えたというが、現在は工場の合間にうっすらと見える程度であった。 兼好法師に「清見がた波ものどかにはるる日は 関より近き三保の松原」の歌あり。(2日目)
その3 有形登録文化財明治宇津ノ谷隧道(丸子宿~岡部宿間)
丸子宿を過ぎ、とろろ汁で有名な「丁子屋」(広重の53次鞠子の絵)から国道1号の南側の山を越える峠が宇津ノ谷峠である。この峠を越えるには南側の平成・昭和のトンネル(国道1号)、北側の大正のトンネル、真中に明治のトンネルがある。明治のトンネルの上を旧東海道の峠道が通っている。峠の麓の道の駅の係員に聞くと、旧東海道の道は自転車では無理だのこと。旧道貫徹主義である遠山先生の了解を得て明治トンネルを超えることにした。
峠の手前の宇津ノ谷集落は、江戸時代にタイムスリップしたような情緒ある佇まいの街道街。自転車をゆっくり進め当時の面影を偲ぶ。横山君、宏和君は興奮して写真撮影に夢中である。遠山先生と私はトンネル手前の東屋で待つ。先生が2人を甘やかすなと私に注文をつける。自分で言えばいいのに…。
明治隧道は、そんな些細な事も吹き飛んでしまうほどの素晴らしきトンネル。煉瓦造りでカンテラの明かりが旅情をそそる。中高年4人が興奮してトンネル前で記念撮影。車が通れないトンネルをゆっくりゆっくり押し歩く。自転車できて本当に良かったと感じた。なおこの明治トンネルが標高115m、大正トンネルが107m、平成・昭和トンネルが70mで、旧東海道の峠路は162mとのこと。トンネルを抜けて再び旧東海道に戻った。(3日目)
その4 桜エビ
由比の街は桜エビ発祥の地、この町の漁師が偶然引き上げた網に桜エビが入っていたという。桜エビは駿河湾でしか獲れないし、漁期が春と秋のそれぞれ2か月しか許されない。秋は10月末~12月末までの期間しか食できない。事前調査で入ろうとした店が休みだったので、開いていた料理店「玉鉾」に入る。これがまた正解、遠山先生は桜エビ定食、他の3人はかき揚げ丼を食した。あ~、満足今まで生きてきて良かった。また店のママさんがシャキとしたナイスミドルで気分が良い。聞くと私たちより若干年上とのことで、早速遠山先生が話を持ち掛けるが…。食事と接待と値段に満足して薩埵峠を目指した。(2日目)
行程
1日目
三島駅集合:10時(小宅パンクのため出発11時)~三島大社~昼食(大社前の三島拉麺)~平作地蔵尊~沼津一里塚~駿河湾~18期森田氏生家(残念ながら家人は不在でした)~吉原の宿着3時30分(吉原駅前「菊川」。ここの女主人は、ただ者でない。千と千尋の神隠しに出てくる湯婆婆のよう、客の方が気を使わなくてはいけない。遠山先生は声が大きいと叱られる)
2日目
吉原駅発:8時30分~富士見塚~富士見が丘公園~吉原左富士神社~宏和サドルの固定ネジが緩み自転車屋で直す:10時~清水街中~雁堤~富士川渡船跡~岩淵一里塚~蒲原宿のパン屋:12時~昼食(由比の料理屋玉鉾):1時~薩埵峠~清見寺:4時~静岡のホテル着5時20分(静岡第一ホテル)
3日目
ホテル発:8時30分~駿府城公園~安倍川橋袂の石部屋で安倍川餅~丸子宿の丁子屋:10時~明治隧道:11時半~岡部宿・大旅籠柏屋歴史資料館内の「一祥庵」にてとろろ蕎麦:1時~藤枝駅着解散:1時40分
薩埵峠下り道 | 宇津ノ谷集落 |
明治隧道 | 藤枝駅 |
コメント
2016年12月 松原 英明 (第15代・昭和47年卒)
[コメント番号:m0252]
今回も行けず残念でした。さった峠のライブ映像のサイトがあったので、富士山の絶景が見られました。明治のトンネルも中々よさそうですね。
2016年12月 鈴木 宏和 (第18代・昭和50年卒)
[コメント番号:m0250]
本当に素晴らしい「旅」でした。往時を偲びながら最高の雰囲気にも浸れました。また、旧東海道の道筋案内はスマホに「ルートラボビューワ」というアプリを入れて、見逃してしまいそうな曲がり角も詳細にナビ機能が発揮された事も付け加えておきます。
2016年12月 横山 司 (第17代・昭和49年卒)
[コメント番号:m0251]
今回の駿河路は旧東海道巡り前半のハイライトコースと言えるだろう。特に宇津ノ谷峠に向かう坂道の両側に残る古い街並み~明治宇津ノ谷隧道(1876年に完成し、1904年には修復され現在の赤煉瓦で覆われた形となった)までが白眉であった。齢を重ねてもまだまだ感動できるものがある、それを一緒に味わえる仲間がいるのは嬉しいことだ。次回が待ち遠しい!
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